迷って悩んでそれでも歩く

仕事、Yoga、日々の迷いや悩み

母と子の一日

先日、母親が足腰を痛めて動けなりました。
家で様子を見てもどうにもならなそうだったので、急遽仕事を休んで病院に付き添うことにしました。
 
 
受診当日
朝からタクシーを手配。足を引きずりながら乗っていざ病院へ。
着いたら車椅子を借りて、病院の中を行ったり来たり。
車椅子を押して、エレベーターに乗って、トイレに行って…
 
ふと周りを見渡すと、同じように高齢になった親とその子どもの組み合わせが多い。
仲良さそうに歩いている人もいれば、認知機能が落ちてしまった親に対して少しイライラ気味の子供と戸惑う親、いろんな親子の形があった。
病院に勤めているので見慣れた光景なはずだったけど、
いざ自分が患者、家族側になって見える景色はまた違うものだった。
 
 
子供の頃は親に連れられてよく病院に行っていたなあ。。。
今は立場が変わって、自分が親を病院に連れに行っている。
(親はどう思ってるのかな?)
 
車イスをゆっくり押しながら、そんなことを考えていたら、
何故か自分がとても温かい気持ちになっていた。
なんで、一見何でもなさそうな日常の一コマが、
こんなにも愛おしく感じたのだろう。
 
 
一つには、親と離れて暮らしている中で、
今となっては親といる時間が非日常だから、
そこにある種の新鮮さを感じたのかもしれない。
 
もう一つには、母親の今の病状、
齢70を前にいろいろ身体の不調が出てきている姿が、
悲しくもあり、でもそこに母親が子供を見るような、
愛おしみもあったように思う。
 
まだまだ元気だけれど、そうは言っても70歳。
加えて最近の不調続き。
あまり先のことは考えたくないし、まだまだだと思っているけれど、
でも、確実に来るであろう最期の日。
子供だったあの頃は非現実的で、来るはずないと思っていたその日。
それは、大人になって、少し世界が見えるようになってきて、
今までよりも現実味が増して感じられる。
 
恐らく自分の中でのそういう変化があって、
子供の頃に感じていた来るはずのない遠い未来は、
実は気づいたら見える位置に近づいてきていて、
でもそれを感じるからこそ、
一緒に過ごす時間がより一層愛おしくて、嬉しくて、
でもどこか切なくて。
 
そんなことに気づき、考えていた一日だった。
 
一緒に時間を過ごすことができていることが、幸せに感じた。
 
 
親と子の関係は時に複雑で、我が家とは全く違う環境もあることと思う。
 
私は、個人的には親から愛をかなり受けて育ててもらえたと感じている。
親の無条件の愛ってすごいなと思う。
 
その感覚を、少し感じることができた1日だった。
愛を持って接することで、それは人の心を温かくし、
自分の心も温かくなる。
 
 
「(車椅子を)ゆっくり押してくれて安心するね」
久々に褒められて嬉しかった。
 
 
皆さんは、親とどんな時間を過ごしていますか?
 
 
 
おしまい