読書記録 「残り2年」の生き方、考え方
読書記録 痴呆を生きるということ
第3章 痴呆を生きる心のありか
きほん18 正しい方法/新しいこと
1年の変化について
みなさま、おはようございます。
週1で書き続けて、2ヶ月ほど経ちました。
まだまだ書き慣れないですが、
今年はなんとなくで続いております。
今日はきほん、ではなく、
お題の「この1年の変化」について、
三つ挙げて書いてみます。
・結婚
個人的には、一番大きかったのはこれでしょうか。
2020年、年明けから一緒に暮らし始め、3月に入籍、
の予定が、コロナでズレズレになって6月に入籍。
ひっそりと2人で市役所で撮った写真が懐かしい。
大学以降一人暮らし歴が長かった分、
誰かと一緒に暮らすのに最初は違和感を覚えましたが、
だいぶ慣れてきました笑
こんな時に結婚、
ついているのか、ついていないのか、
間違いなく記憶に残ることは確かだなあと思いながら過ごしています。
・日々の習慣
昨年は中盤から朝晩の習慣を少し作ってみました。
朝起きたら白湯を作る。
太陽を拝む。
夜は寝る前に少しだけ瞑想する。
ちょっとしたことですけど、
朝の慌ただしい時間でも、
あえてゆっくりした時間を作る、
夜寝る前も、
スマホを最後まで見てないで心を落ち着ける、
日々のバランス、ズレなんかを修正できる気がします。
・仕事のこと
良くも悪くも、変わらない。
コロナ禍で普段の感染対策や、
働く環境が少し変わったけれど、
医療を提供するという大前提に立った時、
目の前の患者さんに向き合うことに関して言えば、
あまり変わったことは無かった。
これはむしろいいことなのかもしれないけれど。
ただ、働き方や新しい分野開拓については、
変えたいと思っているだけで変化は起こせていないので、
そこは個人的にはいまいちでした。
以上、この一年の変化を三つ書いてみました。
確かにこの一年はコロナに飲まれた一年で、
人間社会にとっては大きな転換期になったように思います。
でも、自然界にしてみれば、
新型コロナウイルスの出現なんてものは
ただの一つの変化に過ぎず、
それで困ることなんて何も無いんだと思います。
人間以外の動植物が大量に失われたなんてニュースも聞きませんしね。
大きな変化であることは確か。
ただ自然界で起こっている変化の一つに過ぎないことも確か。
泰然自若としていたいものです。
おしまい
きほん17 集団思考に気をつける/何のためのマインドフルネスか
願いはかなうか/再会
みなさまこんにちは。
昨日は大きな地震がありました。
東北の方は大丈夫だったでしょうか。
(東北の方が読んでいる可能性は極めて低いですが…)
東京は震度3〜4。
そろそろ寝ようかな〜と思ってい矢先、
あれ?揺れてるのかな?
と思っていたら大きな横揺れが。
慌てて玄関の扉を開けてしばらく様子を見ていました。
家の前の木が揺れ、
家の中はカタカタ音を立てていました。
幸にして揺れはおさまり、
テレビをつけると、震源地は東北地方。
津波こそ心配ないとテレビでは報道されるも、
都内であの揺れでおっかなびっくりだったので、
現地はやはり不安な夜を過ごしたのでは。
我が家では一応避難時に持っていくカバンを用意はしていますが、
いざ!って時にさっと取り出す動きはできませんでした。
地震大国日本、やはり備えは常にしておかないといけません。
話は変わって、表題の件。
今日は午前中に病院に行って軽く回診。
みんなお元気そうで何より。
帰り道、ふと前から真っ赤なかっこいい車が。
なんとなく助手席をチラ見。
あっ!!?
1秒にも満たない時間でしたが、
確かにそう見えたような。。。
ちょうど交差点が赤だったので止まる車。
数m後ろで振り向く私。
助手席側のミラーで、なんとなく手を振っているようないないような。
思い切って戻って助手席を見ると、
そこにはやっぱり、以前担当していた患者さんが座っていました。
「先生!気づいてくれたのね!でもよくわかったわね!」
「なんとなく、ちらっとだったんですけど、まさか。。。と思いまして!」
ちょうどお孫さんを連れて、ドライブ中の様でした。
時間にして数十秒から長くて1分ほどだったでしょうか。
これといった話はできなかったものの、
お互い笑い合って、
「ではまた!」
と別れました。
こちらの患者さん、
私が数年前に担当した方で、
成人Still病
という、ちょっと厄介な病気でした。
当時は熱がバンバン出て、どうなることやらと日々診療していて、
あれやこれやでなんとか診断にこぎつけました。
治療開始後は薬の効果もあり、
比較的元気になって退院していきました。
外来は指導医の先生のところへ通っていて、
カルテ上で元気なことは確認はしていました。
退院後、一度だけ街でばったり会ったことがありました。
その時はまだコロナ前でもあり、
しばらく話して別れました。
その後も何回か手紙のやりとりをしていて、
数日前にも、
ちょうど入院から二年ほど経ちますね、
といった内容のお手紙をもらっていました。
コロナ禍でも通院を続けて、
元気に過ごしている彼女を見ていると、
ほんとすごいなあと思います。
そんな思いとともに返事を書いて、
今週外来に持っていって渡してもらう予定でした。
そんな時に起こった今日の出来事。
とても不思議な感覚でした。
まさかこんなタイミングで会うなんて。。。
よく、
願いは書けば叶う、
強く思っていれば叶う、
などなど、願いがかなう方法って巷に溢れています。
そのどれもが多分正しいというか、
おそらくはそうなんだろうなと思いつつ、
その仕組みってよくわからないと思ってました。
いや、そもそもそんな簡単に願いが叶うってどうなん?
と天邪鬼的にも思ってみたり。
でも、今日彼女と出会って、
なんとなく、
その「願いが叶う感覚」が実感出来ました。
願いは思っているだけだと、
どうしても言語化されていない分、
すぐにふっと消えてしまいます。
それを紙に書くことで、
自分の頭の中で霧のようにモヤモヤしているものが、
雲のようにある程度の形を持ってきます。
そうやって、願いをある程度意識下に留めておくことができると、
普段見ている世界に、その願いのフィルターが追加されて、
見える世界が少し変わってきます。
今回の場合、手紙の中でも、
「またどこかでばったりお会いできるといいですね」
と書いていたのですが、
「その患者さんとどこかで会うんじゃないか!」
といった思いを常に持っていたというよりは、
その患者さんの顔を識別するフィルターが、
普段よりも精度が上がっていたため、
ちらっと見ただけでも、その顔が認識できたんじゃないかと。
おそらく、手紙をもらわずにいたら、
あっさり見過ごしていたと思います。
願いが叶う仕組みが少し実感できた気がしましたが、
そんなことより何より、
患者さんが元気に過ごしている日常を見れたことが、
願い云々を抜きにして嬉しい出来事でした。
おしまい
きほん16 関係ないことはない
おしまい