迷って悩んでそれでも歩く

仕事、Yoga、日々の迷いや悩み

読書記録 「残り2年」の生き方、考え方

みなさま、おはようございます。
 
都内は雨。
久々の雨で気持ちいいですが、
走りに行けないのが残念です。
 
雨の日でも走りに行けるウェアを揃えようかしら。
 
 
 
今週も1冊読んでみました。
 
 
43歳という若さでがんと診断された緩和ケア医の話。
まだ現役で働いてらっしゃいますが、
診断の時点でStageⅣ、
なかなか酷な宣告を受けてからの今まで、
そしてこれからの生き方、考え方を綴っています。
 
 
1章 宣告
がんの宣告を受けてから診断、治療への流れ、
心のありようの変化、
家族との関係、
などがありありと描かれています。
 
「死ぬ瞬間」で言われている、
「死の受容」のプロセスについても触れられています。
 
死にゆく過程の中で、
・第一段階「否認」(現実の否定)
・第二段階「怒り」(「なぜ自分が」という感情)
・第三段階「取引」(死を回避する条件を考える、神にすがる)
・第四段階「抑うつ」(運命に対し絶望する)
・第五段階「受容」(希望との別れ)
こういった段階を経て、
やがて死を受容していくというものです。
 
 
しかし、関本先生は、
いざ自分ががんになってみるとそんなにきれいに、
この段階を経るわけではないことに気付いたとのこと。
 
 
もちろんこの過程を一定経験はするとは思いますが、
時には後戻りもするでしょうし、
時には飛躍もするでしょうし、
この五段階+αが入り混じった状態なんでしょうね。
 
 
 
ただやはり、
40代でこれを経験することは、
なかなか大変なことだと思います。
 
 
2章 医師への道
関本先生の生い立ち、医師を志し、
緩和ケア医となるまで。
 
3章 死について思うこと
「死」を意識することで見えてきた日々の変化。
治療のこと、患者さんとのこと、
そしていつしかくる自身の「死」について考える。
 
4章 生きてきたように
最後まで車を運転したい人。
最後までタバコを吸っていたい人。
代替医療をとことん試したい人。
 
その人の生き様は、
その人の死に様に反映される。
 
生き様は人それぞれ、
死に様も人それぞれ。
 
「人は生きてきたように死んでいく」
「よき死」は「よき生」から生まれると説いた、
柏木哲夫先生の言葉だそう。
 
 
 
私自身病院で働いており、
死に触れる場面は多いが、
「よき死」「よき生」
について考えさせられることは多い。
 
 
もちろん、
患者本人がこの先どう生きていきたいのか、
あるいは死にゆく過程でどう死にたいのか、
を聞き、あるいは汲み取ることは大事だが、
それと同じくらい、
家族がどう思っているのか、
も大事かなと最近はよく思う。
 
高齢の親を介護する独身の子供、
認知症のい一筋縄ではいかないケースは多く、
かつ一般化できない部分が多いので、
その患者毎にあれこれ考えを巡らせる必要がある。
 
特に、認知症が進んでしまっている患者さんの場合、
本人にあれこれ考えてもらうことはもはや難しく、
家族もそこまで認知機能が落ちていると思ってなかったりすすので、
方向性を決めていくのはなかなかに大変。
 
 
患者さんが、1人の人として、
どのように生きてきたのか。
これをもっと意識する必要があると感じた。
 
 
5章 最高の人生に向かって
これからのこと。
死を意識する中で、どう生きていくのか。
 
 
 
医師を目指す高校生に向けたメッセージ
関本先生が母校である六甲学院高校で2020年に行った講演のダイジェスト版。
その最後のほうにこんなことが書かれていました。
 
 
”これは緩和ケアに限った話ではありませんが、医師の仕事のやりがい、特権のひとつには、患者さんの人生の1ページに参加させてもらえる、時には脇役を演じられることだと思います。”
 
 
確かに、病気になって入院するということは、
人生においてそれなりに大きなイベント。
そこで患者さんと関わりをもつ医療者は、
確かに患者さんの人生ストーリーのキャストに含まれるかもしれない。
こと医師に限って言えば、
患者さんの治療方針を決める立場にあり、
与える影響は大きく、
脇役として出演させてもらえるかもしれない。
 
そんな時、脇役が微妙だったらどうだろうか。
なんとなくで演技をしていたらどうだろうか。
主役が引き立たないだけでなく、
ストーリーそのものが台無しになってしまうかもしれない。
 
 
名脇役となれるよう常に準備をして、
いざ抜擢となれば、
しっかり主役を引き立てられるよう、
精一杯のサポートをする。
 
そうなれるよう、日々精進。
 
 
最後に気が引き締まった今回の本でした。
 
 
 
おしまい。