みんな違って、みんないい いや、みんな一緒がいい
暖かくなってきましたが、朝晩はまだ冷えますね。
コロナ、止まりません。世界の流れをみたら日本だけこのまま低空飛行で終わりはしないだろうと思いますが、まだまだこれからという感じです。
先日たまたまネットニュースで、「コロナに関するツイートをしたら炎上した!」という話題を読みました。た○すえさんや、ス○さんなど、別に炎上なんてしなさそうな人が軒並み炎上しているそうな。一見炎上なんてし無さそうなス○さんのツイート、
「今一番大切なことは、みんなが一人一人どうすべきかを考えて、一致団結してこの危機を乗り越えることだと思うんだ 批判や怒りや疑いじゃなくてさ、不要な外出を控える、自分や家族を守る、他人を思いやる、医療を守る…それしか新型コロナに勝つ方法はない」これですら。。。
緊急事態宣言が出された今、個々人が置かれている状況は様々で、そこには不安、不満、怒りなど様々な感情が入り混じっています。
何言っても叩かれるんじゃなかろうか…。
無責任な、勝手なこと言うな!。必死に働いている身にもなってみろ。
などなど…。
今、この状況じゃなければこんな反応しないはずなのに…。
どんな時でも、人を批判するのはエネルギーがいるもの。家で過ごす時間が増えた今、TVだけで無くTwitterやfecebookなど様々な媒体から今まで以上に沢山の情報を受けている人が多いと思います。
概してこういう時は短絡的にものを考えがち。TVで言っている事、世間でささやかれていることを鵜呑みにして、さも自分の考えかの如く考え、発信してしまう。そこに負のエネルギーが溜まっていたとしても、恐らく発信している時は気づかずに、あとから何となく疲れている…
日本人は昔から、行間を読み、共感する力が高いと言います。
こんな時だからこそ、その力を発揮する時かもしれません。
相手が発した言葉、発信した内容に対して、条件反射で対応するのではなく、一歩引いて見てみる。なぜ今この人はこの発言をしたのか、なぜこのタイミングでこれをツイートしたのか。
中には、「やっぱこれはおかしい!」と思うものもあるでしょう。それはそれでいいと思います。であれば、発信した人にやはり言葉足らずなところがあったのかもしれません。
これは発信をする人にも言えることで、同じことを言うにしても、どのタイミング、どの文脈で言うかで受け取られ方は大きく違います。それを意識した上で、それでも言わなきゃ!と強い決意なり信念なりを持って発言できれば良いなと思います。
そもそも、緊急事態宣言が出された今、TVやスマホを介しての情報が主にならざるを得ません。どうしてもネットのちょこちょこしたニュースや発言も気になりがち。
ただ、それらはあくまで世界の一部を切り取って見せているだけで、全てではありません。しかし、連日同じ情報を見聞きすることで、あたかもそれを世界の全てと錯覚してしまう。そして、多くの人が同じ状況にある中で、そこに付随する感情や考えは大衆の感情、考えとなります。
気づけば自分も大衆の一員となります。そこには一定の安心感があるかもしれません。皆同じ考え、感情ですからね。それはこの混沌とした状況だと尚更。
ただ、今考えていること、抱いている感情がもし大衆によって作り出されたものだとしたら、それを自分の考え、感情と言ってしまって良いのか。
そうかもしれないし、そうでないかもしれません。
一つ言えることは、一歩引いて考え直してみる価値はあるということ。
緊急事態宣言が全国に広がり、この状況はまだ長く続きます。
画面に触れる時間が長くなりますが、一歩引いて見てみてはいかがでしょうか。
「部屋を明るくして画面から離れて見よう」
ほら、テレビもこう言ってるじゃないですか。
おしまい